【シャニマス】黛冬優子は、彼女である限り芹沢あさひを肯定できない

さゆっとです。

 

所謂ひとつの『Straylight.run()』 感想です。

スクショはないです、自分で見返した方が面白いです。

 

 

僕はいつの間にシャニマスのライターになったんだろうか。

ありがとう、アイドルマスターシャイニーカラーズ。

ありがとう、ストレイライト。

Straylight.run()

オープニング『GIRL MEETS』

黛冬優子とは?というイントロダクション。

プロデュースイベントで見られる彼女より、プロデューサーに対しての信頼感が見られて非常に良いです。

 

『ふゆ』に対する冬優子のプライドと、アイドルという存在への理想は、イラストしか見ていない蝗絵描き以外の皆が知り及んでいるものではあるでしょうが、ここでは冬優子の危うさを感じさせられます。

 

『ふゆ』が目指しているものは、多分万人から100点を取ることなんですよね。

世界で一番可愛いアイドル、という目標、冬優子的には将来像ですが、これは「アイドルといえば○○!」みたいな信仰を決して裏切らない究極の偶像でしょう。

冬優子は『ふゆ』を最強のアイドルにしたい。

 

でも、実際にアイドルってそうじゃないじゃないですか。

頑張って取った80点に愛おしさを感じるし、ふとした120点の瞬間に恋をする。

そういう要素を大いに孕んでいるのがアイドルという存在なんですよね。

 

だからと言って、冬優子の考えが間違っているということでは絶対にありません。

僕は宗教上の理由、って表現するんですけど、そういう主義主張に則って懸命な努力をすることは正しい。

色んな正しさがあるだけです。

 

でも、冬優子は完全無欠のアイドルマシーン『ふゆ』ではないので、別の正しさに揺らいでしまうんです。

 

「黛さんはいつも安定している」というスタッフ評は的を得ていると言えます。

いつも、という表現が2回出てくる辺りに寂しさを感じさせられますよね。

 

 

不安にさせられながら、場面が転換し、あさひと出会います。

割とマジで、そらキレるわって感じです。

 

『可愛いアイドル』を面白いものと言われてしまったことは、完全に地雷です。

冬優子は、自分にとっての全てを、軽く片付けられてしまったように思えたでしょう。

そして、アイドル方針が違うと確信できて、ユニットを組むよりひとりの方がマシというのも本心でしょう。

 

『ふゆ』でなくとも、周りを良く見てバランスを考えて、人に気遣いが出来る冬優子にとって、本当に苦手なタイプなんだろうなあと思います。

 

これをいい刺激で押し切ろうとするのはすげえよ。

第1話『FREEDOM』

大学生の派遣バイトみたいなことをしている2人。

 

危うさの表面化です。

『ふゆ』としてひとりで活動していたときは、自分と自分の信じる偶像を信じてアイドルをやってこられました。

ユニットとしてやるといことは、どういうことなのか。

比較です。

 

化粧品サンプルをちっちゃい子にあげる行動が、キャンペーンガールとして正しい道理はありません。

職務の放棄です。

 

そういう自分勝手なことばかりしていては、スポンサー会社のためにならないし、自分達ユニットのためにもならないし、283プロのためにもならない。

それを考えられているが故に、あさひを窘めるものの、理解はされない。

現場責任者に挨拶もせず無礼なことをして、誰のためにもならない。

それなのに気に入られてしまう。

 

そら嫉妬しますよ。

そして、僕はそういう冬優子が好きです。

 

 

あさひと相性が最悪、少なくとも冬優子にとって、なのは、初日終了後のシーンでもあるように、あさひはあさひで素直なところなんですよね。

冬優子の指摘を受け、自分で納得できたものは受け入れるし、できないものには何故できないのかを伝えずにはいられない。

 

「・・・・・・お仕事をちゃんとこなしていれば、・・・」の問いは、2人の明確な違いです。

それは、あさひにとってはそういう考えの人もいるんだな、自分にはわからないけど程度かもしれませんが、冬優子にとっては埋められない溝でしょう。

 

アイドルは好かれなきゃいけない、それはアイドル自身にとってもそうだし、ユニット、プロデューサー、会社にとってもそうである必要がある。

特に、自分以外の人達のためにならない、という点をあさひにはもっと考えてほしい、軽率な行動を取らないでほしい、という冬優子の思いが理解されることがないことが、ひどくストレスになっていますね。

 

 

後日、覚えられているあさひと、バーター扱いの冬優子。

『ふゆ』は覚えられていない嫌味のように、自己紹介してはならない。

 

最後の4テキスト、辛い。

 

これはもう呪いなんです。

第2話『ENTER MEI!』

センターは冬優子にとって重要な意味を持っていて、でもあさひにとってはただの立ち位置。

アイドルでありアイドルであり続けようとする冬優子と、アイドルをやっているあさひとでは、ここにも壁があります。

 

また、野暮な話であると一蹴されますが、『ふゆ』は『ふゆ』であり、作ったキャラじゃない。

キャラクターとか、そんな生ぬるさで冬優子は『ふゆ』ではないんです。

自分が好きなアイドルという存在、プライド、意地を懸けた理想が『ふゆ』なんです。

おいそれと素がどうこうとか言っていい話ではなく、野暮程度で終わらせてくれたのは冬優子の優しさ以外に他ありません。

 

 

ここでようやく愛依が加入し、ストレイライトが結成されます。

ストレイライト、というユニット名が何を指しているのか、冬優子だけは理解していそうな顔をしているのが非常に良い。

 

 

2人と比較すると、愛依はすごい一般人なんですよね。

見た目がギャルっぽいってだけの、普通の女の子。

 

そんな彼女だから、3人目になれたんでしょう。

愛依がストレイライトで良かった。

第3話『SING IT!』

この冬優子のステージ衣装、すっごいかわいいよね。

 

ともかく、トラブルはつきもので、率先してふたりのためと出て行ける愛依は、やっぱりいい子なんですよ。

そして、やるべきことを考えられる。

冬優子側のバランスを保つことができる人間なんです。

 

 

あさひが、何故怒られているのか理解できないところ、最終的にも伝わらなかったところ、完全に胃が痛いです。

冬優子が恐れていたパターン、全くそのまま起きてしまったってやつでしょう。

化粧品キャンギャも今回も、たまたま運が良かっただけにすぎなくて、最悪お偉いさんに怒られてイベントが無くなってしまうことだってあり得る話です。

 

あさひは危機感が足り無すぎるんですね。

愛依もあまり事の重大さに気付いていない、まだ気付けるほどアイドルではない未熟さも見えつつ、なんとか無事ステージが始まります。

 

 

『【なるんじゃん?】和泉愛依』のアイドルイベントでも、このシーンは描写されてますね。

印象はだいぶ違いますけど。

 

錯覚でもなんでもなく、冬優子への応援がなかったのが結構キツいです。

自分と相反する行動を取って支持を得ているあさひ、アイドルとしてのキャラ付けをして支持を得ている愛依。

どうしても2人と比較してしまい、悔しさを露にする冬優子。

 

徹底的に辛酸を舐めさせられているけど、それくらい冬優子の選んだアイドルのあり方は辛いんですよね。

でも彼女は諦めないんです、なぜなら『ふゆ』は諦めないから。

 

 

愛依のユニット観はすごく良いですよね。

ちゃんと2人に向き合おうとしてくれています。

卑屈、というか実力不足の自覚があって、多少の負い目みたいなものはあるけど、その過信しないところ、現実的で中庸的なところが2人にはない愛依の良さだと思います。

彼女がいなければ、冬優子はあさひのことが嫌いになってただろうし、あさひはアイドルがわからないままだったと思います。

 

冬優子のダンスレッスン約束時のセリフについて、ここで触れておくべきでしょう。

アイドルとしての価値を『可愛い』に置いている冬優子であれば、ステージで目立つための方法も可愛さと考えるはずです。

しかし、ダンスが必要でレッスンをさせてほしいと申し出る。

 

ミニライブのステージが影響していると僕は思います。

 

『【ザ・冬優子イズム】黛冬優子』のアイドルイベントでもそうですが、例えば灯織とか夏葉みたいなストイックさを持っているわけではないんですね。

レッスンは、自分の目指す『ふゆ』を作り出すために必要だから頑張っているだけ。

ダンスのレッスンもやらなければならない、そう思ったんでしょう。

 

ところで、あさひのビジュアルレッスン約束時のセリフも、彼女なりに冬優子を理解しようとしていて僕は好きです。

冬優子が、その明確な答えがない概念を求め続ける限り、『可愛い』への興味、そして冬優子への興味は尽きないんでしょうね。

第4話『INVISIBLE』

あさひにセンターが決まります。

 

僕は、冬優子がこうやって時折見せる、泣きそうな表情が本当に好きで、辛くて、彼女のために頑張らねばと思う。

 

冬優子は強いアイドルです。

彼女の魅力はその精神性にあると言っても過言ではないです。

美しい精神が、『ふゆ』を可愛くあらしめ続けるんです。

 

僕がプロデューサーの立場だったとしても、冬優子をセンターには選べなかったでしょう。

客観的に見たら、そうすべきではないからです。

そして、冬優子もわかっているからです。

 

あさひをセンターにするという事実を、冬優子に2度も言わなければいけない辛さがプロデューサーの役目なんだと思います。

 

 

レッスン終わりにあさひと愛依が話しているシーン。

 

愛依という普通の人から見た、あさひという特異な人間。

「(なんでできないのか)わかんないけど、(できるまでやりたいのは)わかるっす!」というセリフにも見えるように、2人、ないし3人には隔たりがあるけど、あさひはそれで見下すようなつまんない人間じゃないし、愛依は普通じゃない人に嫌悪を抱くような人間じゃない、ってことで。

 

でも、あさひは根本的に人の気持ちがわからないから、冬優子がどうして辛いのかも理解できないんです。

気持ちが理解できないってよりは、価値観が違いすぎるから理解できるだけの材料が無いって感じでしょうか。

 

逆に、愛依は周りを見れている子で、友達も多い子だから人の気持ちには敏感です。

そして、愛依の良いところは素直なところなんですよ。

素直、すなわち感情や感覚に正直だから、冬優子のプライドも敏感に察することが出来ているんですね。

 

 

自分が楽しいことをして、面白いと思えることをしていたら、たまたまアイドルという枠が当て嵌まったあさひにとって、楽しくないことをする意味がわからないんです。

楽しくなさがアイドルらしさならば、別にアイドルにこだわる必要はひとつもないんですね。

冬優子ちゃんは可愛いんだし、もっと楽しそうにしてたらいいんじゃないかなあ、くらいのスタンス。

 

実際のところ、愛依もなぜ冬優子がアイドルにこだわり続けるのかはわかっていないでしょう。

でも、わからないけど尊重しようってのが彼女のスタンスで、それが冬優子にとっての救いでもあると思います。

第5話『FALSE』

海でのイベント参加が決まります。

それの対策会議をしているところ。

 

「実は面倒見がいい」とか、実はにもなにもなっていない、冬優子の魅力として全世界が知っているから意外な一面でもなんでもないですね。

最年長というより、アイドル理解度の功でリーダーシップを発揮している感じが素晴らしい。

 

 

愛依に対するアドバイスは、冬優子の不器用さでもあると思います。

これは違うと言い切られてもどうしようもない。

 

ただ、『愛される努力』が必要であるという冬優子と、自然体でいれば愛されるはずだというあさひで衝突してしまう。

「嘘をつかないと」という言い方は『ふゆ』という存在が嘘の存在だと言っている様なものなので、冬優子にとってすごいキツい表現だと思いました。

 

あさひに「ちょっとうらやましくなっちゃう」と言ったのは皮肉を込めつつも真実だと思います。

あさひの強さは空気を読まないことではなく、自由奔放でありながら人に好かれる天性で、それこそが最大の才能です。

その才能はいかなる努力をしようとも手に入るものではなく、もしそんな才能が自分にもあったのなら、もっと自由に好きなようにアイドルができていたのかもしれない。

才能への嫉妬と、無神経への怒りと、否定への苦悩とを飲み込んで、振舞った冬優子に僕は涙を禁じえません。

 

「たくさん我慢できる人は強い人」だという問いに違うと答える冬優子。

強くないからたくさん我慢をしなくてはいけない、できることなら我慢なんてしたくない、これは自分の弱さだ、と言っている様で心が張り裂けそうです。

 

 

愛依は本当に良い子です。

知れば知るほど好きになっていきます。

 

自分のことは若干ネガティヴだけど、他の人達を過不足なく省みていられる愛依は、どちらも間違っていないことに、胸を張ってそう言えるんですね。

今、あさひの才能に打ちのめされそうな冬優子を立たせてあげられたのは、愛依だけだったんです。

 

良いユニットです。

第6話『LIBERTY』

急に新出のかわいい水着を着てくるのは、脳の処理が追いつかない。

これ以上好きになりようなんてないのに、どうすればよいのだろうか。

 

 

出来レースが始まります。

 

癒着の噂を仕入れながらも、あさひの発言で納得しちゃう愛依は、マジ未熟で愛おしいですね。

そして、トップバッターで洗礼を浴びてしまう。

 

それを受けて、あさひがやってしまう、と。

あさひは最低最悪の手を打つんですよね、打ててしまうんです。

それでも、「頑張れ」と搾り出したのは、自分のためだけの自分勝手じゃないとわかってるからなんでしょう。

 

常識が通用しない、バカバカしい世界だと、悟っているのは冬優子だけ。

冬優子だけは理解してしまっていたから、正攻法で戦うしかなかったんです。

可愛くて、優しくて、誰からも愛されるアイドルでなければ、潰されてしまう世界なら、諦めてそのシステムに従うしかない。

 

なのに、自分が諦めたことなんて知らずに、まわりを考えない自分勝手で、バカバカしい世界に立ち向かわれてしまったら。

ユニットのためにとった行動だってわかってしまうから、悔しいじゃないですか。

自分には出来ないことを堂々とやってのけて、そんなの眩しいに決まってる。

 

だから冬優子は、自分の戦い方で、信念を懸けて戦うんです。

ステージに立っても認識されなかったというトラウマを自らの力で乗り越えて、『ふゆ』は立った。

 

これが強くないのならば、なんなのだろうか。

エンディング『WE WILL』

現実は非常であり、都合のいいゲームのシナリオじゃないんだからヒロイン達がいつも勝つなんてことはありえない。

冬優子の言うように、「ズルしたやつらを黙らせられるほどのステージじゃなかった」ということ。

しかし、彼女達ユニットは、それを受け入れるだけの強さがもう既にあるんですね。

なんて素晴らしいのだろうか。

 

 

冬優子の意見を受け入れたあさひに対して、最後まで素直に言えないところが冬優子です。

言ってしまったら、今までの『ふゆ』が全て揺らいでしまうから、言ってはいけなかったのかもしれません。

 

それであれば冬優子がセンターをやるべきだという言葉を黙殺して、あさひがセンターだと断ずる。

冬優子は、どこまでも自分で選択したアイドルなんです。

アイドルになるときも、折れ欠けてもまたアイドルをやろうとしたときも、ユニットのセンターをあさひに任せるときも、ずっと冬優子自身が決めた。

これが、僕が冬優子を好きな理由最大のものです。

 

 

「いいユニットだなと思って」が全てです。

 

 

冬優子は「あんま好きじゃない」と言いますが、やはりそこは譲れない思想があるからだと思います。

アイドルとして、ちょっとだけ周りのことを見れるようにかもしれないあさひも、根本では天真爛漫な産まれ持ってのアイドルです。

そこは才能である以上、考え方が変わろうとも覆せるものではないでしょう。

 

そして、その才能も、冬優子はアイドルの正しさであると理解していると思います。

だから、あさひの謝罪を遮った。

アイドルとして、ユニットとして、あさひを認めているから、許せないものもあるんじゃないでしょうか。

 

あさひが冬優子の意見に全面同意しセンターを譲ったら、あさひがあさひでなくなってしまったでしょう。

それと同様に、冬優子は冬優子である限りあさひの全てを肯定することはできないんです。

まとめ

今回のイベントコミュを読んで、ストレイライトになってしまったので感情のままに書いてしまった結果です。

あなたの黛冬優子評と違っていたとしても、それは知ったこっちゃありません。

 

謝るとすれば、文中の表記が僕の表現とシナリオ寄りの表現のとこが混じってて、可愛いとかわいいとか、気持ち悪いかもってとこだけです。

それはごめんね。

あとがき

アイドルマスター シャイニーカラーズをやろう。

良いゲームですよ。

アイドルマスター シャイニーカラーズ

 

以上。